自分の作品ばっか
どんだけ自分好きなんや(爆)
と軽いノリで始まりましたが
今日はちょっと長く熱く語ろうかと思っています
自分が主催だったり仲間が主催だったりで今まで何回も展示会を開いています
そして毎回展示は密
所狭しと展示しています
もちろん今回の関ヶ原の展示も密
誰が主催をしてもどこで開いても密
自然とそうなるんですよね~
どうして密がいいと思うのかをじっくり味わいました
だってなかなか理解してもらえないんです
特にアート系の人には
呆れられることもありました(^^;)
一般的にアート作品は間隔をあけて、ひとつひとつ味わうように展示する
というのがあります
が
でもそれいったい誰が決めたの?
と思うのです
そうしなければならないというのならガチガチの固定概念だと思いませんか?
そもそも私たちが描いている宙を奏でる点描曼荼羅画の講座ではこうお伝えします
「描き方を教える講座ではありません」と
それは例えて言うのなら「写経」に近いもので
写経を思い浮かべていただけるとなんとなく想像できるかと思います
完成することが目的ではなく
描いている過程がとても大切
一個一個の点と向きあうことは
天(宇宙)と向き合うことであり
自我をちょっと横に置いて直感に導かれた結果が作品として現れてきます
だから内なる自分を表現するアートではないんです(ここ大事)
でも展示会となるとアートに区分されてしまう
ここが難しいところでアートの要素はないかというとあるわけで
もっと分かりやすい説明はできないかと向かい合ったらいい例えがふってきたw
これぞ宙奏で鍛えられた直観力☆彡
折り鶴を思い浮かべてください
手遊びとしての折鶴があり
手の込んだアートの折鶴があり
千羽鶴もあります
私たちが個々で活動しているときは手の込んだアートとしての折鶴です
でも展示会となると沢山の鶴が集まった千羽鶴になるんです
だから間隔を空けてひとつひとつを見てもらうことより
集合体として宙奏曼荼羅画を見てもらいたくなるんだなぁ~って
伝わる?
伝わらない?
ちょっと不安w
だからね
展示会は手の込んだ折鶴ばかりで作られた千羽鶴なのです
また違う例えをしてみます
「体」
肺、心臓、胃、肝臓 もろもろ臓器があり
個々に素晴らしい働きをしている集合体として私たちの体はあります
展示会ではこのナイスバティーを見てもらいたい
もちろん胃は胃で認められて褒められたら嬉しい
心臓だってそう
個人で活動しているときはほんと嬉しいです
でも展示会ではナイスバディーを褒めてもらいたくなるんです
こうして言葉にしてみると
そもそもの成り立ちがアートとは違うんだなと更に腑に落ちた気分です
きっとこれからも密の展示を呆れてみる人がいると思う
いいんです
だって私たちの宙奏曼荼羅画はアートを超えているのだから
宙を奏でる点描曼荼羅画を描き続けていると固定概念がどんどん外れていきます
描くたびに有限の中の無限を感じるワークを行っているようなもの
アートの枠に収めるなんてもったいない
展示会では集合体から発する膨大なエネルギーを受け取って
それはきっとあなたに変容をもたらすから
しっかり感じてきてね
展示会
※ 4.2(金)~4.29(木) 月曜休館
9:00~17:00
関が原エコミュージアム
岐阜県不破郡関ケ原町玉1565−3